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机动战士高达U.C. Card Builder 第3弹「逆袭」PV

『キルケーの魔女』から感じたプロデューサーとしての重圧

——『キルケーの魔女』の公開からしばらく経ちました。現在の心境はいかがでしょうか?

笠井 無事に公開することができた安心感が一番大きいです。ガンダム作品としては、かなりハードでシリアスな内容の作品でもあるので、本当に皆様に楽しんでいただけるのか、公開を迎えるまでは不安でした。

まだ公開中なので気を抜いてはいけないのですが、皆様から楽しんでいただけているという実際の声を聞けたことが何より大きいですね。

——ファンの中には様々な考察をしている方もいらっしゃいますが、「鋭いな」と驚かされるような意見を見かけることも多いですか?

笠井 そうですね。次の作品に向けて、視聴者の皆様にどう受け止めてもらったのかを勉強するためにも、そういった反応は自分から見に行くようにしています。中には「あ、ここ気づいてくれたんだ」と驚かされることもいくつかあって、熱量の高さを感じましたね。

——笠井さんは『キルケーの魔女』ではプロデューサーを務められていますが、第1章では制作進行だったとお聞きしています。立場が変わったことでの変化はありましたか?

笠井 第1章の頃は今よりも制作スタッフの数が少なく、どうしても手が足りないタイミングがあったのですが、そういう時に「じゃあ俺がやります」みたいな感じで予定外のパートを引き受けたり、できる限り自分でスタッフを調整して当てはめたりみたいなことはやっていました。

——なるほど。言ってしまえば、その頃からプロデューサー的な仕事もある程度されていたと。

笠井 作品全体というわけではなく、その時はあくまでも自身の担当パートをなんとかするくらいでしたが、『キルケーの魔女』では作品全体の現場をデザインする立場になりました。第1章の時は、ただただ制作進行が楽しくてやっていた感覚でしたが、やはりプロデューサーになると責任が重くなる分、プレッシャーは強くなりました。

村瀬修功監督とは第1章の時からよくコミュニケーションはとらせていただき、ベテラン制作ということもあって監督からいろいろと仕事を任せてもらいました。『キルケーの魔女』では自分の方から「この人はどうでしょう?」といったスタッフィング的な話をする機会が増え、監督との関わり方も変わったと感じます。そういった部分もあり、やはり『キルケーの魔女』では楽しさよりも大変だったという思いの方が大きいですね。

——第1章の頃から比べてスタッフの人数も増えているのですか?

笠井 第1章の時は、昔ながらのサンライズらしいパート分割の制作スタイルでやっていたのですか、『キルケーの魔女』では各工程に合わせて制作セクション的な役割分担を決め、分業した制作体制で進めた結果、第1章よりも人数が増えました。あと、『キルケーの魔女』の制作期間内でサンライズからバンダイナムコフィルムワークスに会社が変わったことで働き方がガララッと変わった影響もあります。

——視聴者の立場からはあまり見えづらい部分ですが、実は第1章と『キルケーの魔女』の間で、制作体制は大きな変化があったんですね。

笠井 そうですね。本当に環境が全然違います。そもそも『閃光のハサウェイ』という作品自体、サンライズではあまりやったことがない作り方をしています。第1章の現場が動き始めた当初は『機動戦士ガンダムUC』の頃の名残みたいな感じで制作する気分はあった気がしています。それが、実際に回してみると人手が足りなかったりして自分たちも悩みながら制作していました。

『キルケーの魔女』では自分がプロデューサーとなったので第1章の反省も踏まえ、チーフプロデューサーの大塚大と相談しつつ、他スタジオの制作スタッフを調整してサポートに充ててくれたおかげで、あれだけの規模のチームを作ることができました。

——今回は富野由悠季氏の小説を映像化する形となりましたが、そのプレッシャーというのはありましたか?

笠井 富野さんとは第1章終わりで、劇場版『Gのレコンギスタ』で一緒に仕事をさせてもらった際にいろいろとお話をしましたが、改めてそういったプレッシャーは感じなかったです。まぁ、それでも実際に出来上がった作品を見せる時は、やっぱり怖いんですけど(笑)。劇場版『Gのレコンギスタ』の頃からよく『閃光のハサウェイ』の話もさせていただいたのですが、富野さんはご自身の過去作については固執せず、次の作品に集中する方なのだなと、その時に感じさせられました。それもあって「富野さんの作品だから」という特別なプレッシャーみたいなものはなかったですね。

——プロデューサーになるにあたっては、小形尚弘エグゼクティブプロデューサーから何かお話があったのでしょうか?

笠井 第1章からの流れもあったので、具体的な引き継ぎというよりは「プロデューサー頼むわ」みたいな感じでした。ただ、そもそも「現場をデザインしたい」っていうのは、僕の方から小形に伝えていたことだったんです。プロデューサーがやりたかった、というよりは第1章の時にいろいろできたのが楽しくて、「今度は自分にチームを組ませてほしい」という想いが強かったからではあるのですが、それで実際に任せてもらえたのはありがたかったですね。
——『キルケーの魔女』というタイトルはどのように決まったのでしょうか。
笠井 『キルケーの魔女』というタイトルは村瀬監督の案です。元々は『サン・オブ・ブライト』だったのですが、最初からあれはあくまで仮題で、後から変わるものとして村瀬監督をはじめ我々も認識していました。
 一部ファンの方から「『機動戦士ガンダム 水星の魔女』に乗っかったんじゃないか」という予想を見たことがありますが、まったくそんなことはなくて(笑)。その後に、また別の作品のタイトルで「魔女」の単語が使われたのは驚きましたね。
——プロデューサーを務めるにあたって、最初に決めていったのはどんなポイントだったのでしょうか。
笠井 先程の話にもありましたが、まずは中核のスタッフを決めるところからでしたね。第1章が終わった後、僕と設定制作の秋山(泰知)、途中で別タイトルに異動になった制作デスクの岩下(成美)の3人で、ずっとチーム編成をどうするか話し合いを進めていました。その際、劇場作品を作っているいろいろな会社に勉強へ行かせていただいて、劇場アニメを作るには、どういう工程で何が必要なのかを改めて学びつつ、撮影に演出、美術など各セクションのディレクターにあたる中核スタッフを選びました。
——スタッフを選ぶうえで、意識したポイントはあったでしょうか?
笠井 まず行いたかったのが、社内の村瀬監督の近くにディレクター陣を置いてコミュニケーションを取りやすくするということで、とにかくその方々には、ガッツリとスタジオの中に入っていただき、常に村瀬監督の近くで仕事をしていただく。中には会社に所属されている方もいらっしゃったのですが、その方々にも弊社のスタジオに席を作ってもらい、制作期間中はずっとスタジオに通っていただきました。
 第1章の時はコロナ禍だったので、なかなかコミュニケーションが取りづらく、いろいろと大変でした。日程を調整してオンラインでミーティングを開いても、意見が出づらいなという実感もあったので、会議じゃない時間でも村瀬監督が何か思いついた時、すぐ周囲に相談できる環境を作ろう、というのは意識していた点でした。なので今回はとにかく村瀬監督の近くに、中核スタッフに常駐してもらおうと。
 それを聞く限り、『キルケーの魔女』では村瀬監督が目指す表現を実現するためのサポートをする、という意識が強かったと。
笠井 そうですね、映像を見ていただけたら感じられると思うのですが、『閃光のハサウェイ』が他のガンダム作品とちょっと雰囲気が違うのは、村瀬監督のセンスによるところが大きいと思っています。なので、やっぱり村瀬監督が作りたいものを目指すべき……だと思ったんですが、その結果こんなに時間が掛かってしまったので、プロデューサーとしてそれが正解だったのかどうかは、正直わかっていません(笑)。
 でも、言ってしまえば我々も村瀬監督のファンなんです。プロデューサーの立場としては、いろいろ言いたいこともありますが(笑)、個人的にも昔からよくしてもらっていますし、本当に一緒に作品を作っていて楽しいと思える方なんですよね。
「村瀬監督が目指す表現を追求する」ということは、僕らにとってのずっと変わらないテーマでした。
「ガンダムをカッコよく見せる」ということには重きを置いていない
——『閃光のハサウェイ』という作品そのものについては、どんな点が特徴だと感じられましたか。
笠井 ガンダム作品は大半見ていますが、仕事でも関わった『ガンダムUC』には特に入れ込みがあって、作品としてもすごく好きなんです。なので個人的な好みとしては、少年漫画的な要素やヒロイックな要素があるガンダムなのですが、『閃光のハサウェイ』はその対極にあるような作品だと感じています。というのも、村瀬監督はキャラクターのドラマを表現するという点に重きを置いているので、「ガンダムの見せ(魅せ)方」に関しては従来とは異なる捉え方をしていると感じています。
——確かにΞ(クスィー)ガンダムの初登場のシーンなども、ヒロイックな演出はかなり抑えられていた印象でしたね。
笠井 実際、村瀬監督は、「ガンダムがそこで戦っているのはただの事象であって、兵器が戦っている光景を撮っていることにしたい」と、よくおっしゃっていました。とはいえ、我々としてはそれでも格好良く見せたい想いがあるのも本音なので、映えるアクションの提案は入れているのですが、「モビルスーツに過剰な演技をさせず、あくまでも事象を撮っている」というのは村瀬監督がとくにこだわられている部分ですね。
——ガンダムの映像作品として、それが正解なのかは自分にもまだわかっていないのですが、少なくとも『閃光のハサウェイ』ならではの特徴と言えると思います。
原作小説を読んだ時、内容をしっかりと理解するのに時間がかかるので、自然と何度も読み直したりしていたのですが、映画も1回観ただけではなく、ある程度何回も観て楽しむことを想定した作りになっているのかなとも感じていました。
笠井 そうですね。本人がなかなか口にされませんが、村瀬監督自身は、何回も観ることを前提にはされていないと思います。視聴者が1回観た時にも伝わるように作っていると思うのですが、全部を言葉で伝えるのは尺的に無理ですし、わざとらしい演出にすると、『閃光のハサウェイ』で大事にしようと思っている「生っぽさ」みたいなものが薄れてしまうんですよね。
 なので、台詞や描写の中に「忍ばせる」「含ませる」という手法を取られていて、それがちょっと難しく感じ取りづらい部分なのかなと思います。ただ、そういったバランスは、村瀬監督ご自身もかなり苦心して、手探りされた部分だったのではないかと思います。
——第1章の時からメカ描写のリアルさがファンの間で話題になっていました。それを受けて、「今回はこうしよう」みたいな話が出たことはあったのでしょうか。
笠井 基本的に村瀬監督はブレない方なので、第1章からコンセプトが変わったりした部分はないですね。
変わったところがあるとすると、3Dでモビルスーツを動かすうえで村瀬監督がイメージするカメラワークに少しでも近づけるために3Dの精度を第1章以上に高める、というのは目指していた部分です。そこは実際に3Dチームがよくがんばってくれたと思います。
——『キルケーの魔女』ではコックピットでの操縦の描写が印象的で、メカの細かい部分へのこだわりがすごいなと感じました。「どうすればモビルスーツが動くのか」といったところは今まで以上に詰めて作られているという印象もあり。
笠井 そうですね。僕もガンダムがどうやって動いているのか、いまだに完全にはわかっていないですから(笑)。その手の描写でよく言われるのが、『ガンダムUC』episode 1のスタークジェガンのコックピットでのレバー操作ですよね。僕はepisode 1の時はまだ参加していなかったので詳細は把握していませんが、今作のメカニカルスーパーバイザーを担当している玄馬(宣彦)さんが、できるだけモビルスーツの動きに操縦を連動させる意図があったと聞いています。
今作のΞガンダムは操縦がアームレイカー式(球体状のコントロールグリップ)なので、Ξガンダムのグリップの操作感みたいなものはスタッフもかなり意識していたと思います。
——映像が出来上がっていく中で、村瀬監督のこだわりのすごさを感じた部分はあったのでしょうか。
笠井 『キルケーの魔女』は小説の中巻の部分を映像化しているので、元々映画向けの構成にはなっていないんですよね。それを村瀬監督がしっかり映画らしく仕上げてくださったのはすごいなと感じました。
あとはレイアウトですね。本編をすごくよく分かって言ってくださる業界の方も、概ね皆さんに「レイアウトが格好良い」、多くの演出の方とお仕事をさせていただきましたが、なかなか村瀬監督のようなレイアウトを組む方はいないな、と改めて感じました。
——具体的には、レイアウトのどういったところがすごいのでしょうか。
笠井 すごい、とは少し違いますが、村瀬監督のレイアウトは実写に近くて、基本に嘘をつかないんですよ。アニメではたまにある、壁の中にカメラが埋まってしまうようなことは全殺しでした。ちゃんと実際にカメラマンが撮れるアングルになっているんです。あくまでもカメラマンが撮った映像になっている、というのは、村瀬監督ならではのこだわりのポイントかなと思います。
——村瀬監督の目指す表現を形にするのが目標、といったお話は先程ありましたが、笠井さんご自身としてはどうだったのでしょうか。作品について「こうしてほしい」と伝えたことはありましたか?
笠井 自分の立場としては、「スケジュール守ってくれ!」ということだけです(笑)。でも本当にそこに尽きるんですよ。スタッフクレジットを見ていただいたらわかるのですが、本当にスペシャリストの方々に集まってもらっているので、良いものが上がってくることは最初からわかっていたので。作品の内容やクオリティの心配はしていなかった。
笠井 実際、僕が村瀬監督に言うのはスケジュールのことばかりだったんですけど(笑)、一方でスタッフの方には「村瀬監督がやりたいことをできるだけ叶えたい」という希望も伝えていました。「村瀬監督ならではのフィルムだったらこうなるだろう」とは、スタッフの皆も意識してやってくれていたと思います。
——内容に関して、一つ自分がこだわった部分があるとしたら、恩田(尚之)さんのキャラクターをしっかりときれいに見せていくという点と、ギギの表現ですかね。ギギをあまり性的に描かないでほしい、ということはスタッフに伝えていました。ただ、これは僕からの拘りではなく、恩田さんがギギを描くうえで意識されていたことだったと思います。
——確かに、露骨なお色気カットみたいなものはほぼなかった印象がありますが。
笠井 そう、ギギは妖艶ではありますが、露骨なお色気みたいなものを見せるキャラクターではないと思っていました。シナリオを読んだ時、「今回はギギの話だな」と感じたのもあって、女性としてしっかりと見えてほしいと感じていました。
 実際、村瀬監督のコンテでも、ギギはセンスも才能も持ち合わせている自立した女性として描かれていると感じたので、露骨なお色気カットが入ったら、視聴者が監督がイメージされているギギ像から外れてしまうなと思ったんです。なので、「ギギは変ないやらしさが出ないように描いてほしい」という話はできる限り共有したつもりです。そこはこだわった部分と言えるかもしれませんね。
——今回のギギというと、やはりメイス・フラゥワーとの口論シーンは印象的でした。
笠井 あそこはアフレコの時から、台本に台詞も書かれていたのですが、実際は聞こえないようにする想定だったんです。ただ、ボソボソ喋っている感じは欲しかったので、一応台詞は録っておこう……という話だったのですが、実は微かに聞こえるようになっているんですよ。
——当初は、もっと聞こえなくなる想定だったと。
笠井 そうですね。もっとノイズをかけたり、音量を落として完全に聞こえなくする……みたいなことも考えたのですが、最終的にはリップ音などを混ぜ込みつつ、聞こえるようで聞こえないギリギリのラインに調整してもらいました。
 ただ、ほぼ聞こえなくはしたんですけど、あの台詞って特別ヤバイみたいな認識は自分の中にはないんですよね。富野さんの小説で、大人の女性を煽る時に少女が吐いた言葉と考えると、「そういう風に煽るんだな」と自然に納得できたので。
——そうなんですね。あの台詞は、聞こえなくなったことで、逆に印象に残るシーンになっているのが面白いですね。「いったい何を言ったのか?」と想像力が働くというか。
笠井 そうですね。映画のあのシーンは、作画もちょっとケレン味というか、意図的にリアクションの演技を大きめにつけてあるのもあって、僕も気に入っています。メイスがあの台詞を言われて、首筋がピクって反応してるところとか好きですね(笑)。
ハーラ・モーリーが撃墜されたシーンの意図
——とくに終盤は小説から変わっている部分がありますが、あの展開は制作上のあたりのタイミングで決まったのでしょうか。
笠井 大まかなシナリオの構成自体は、第1章の制作時からできていました。小説をそのまま映画として成立させるのは難しいという話から、映画としてのドラマを届ける、ということを考えた結果、あの展開になりました。
 ただ、小説から変えるとしても我々は村瀬監督が富野さんをすごくリスペクトしているのを知っていますし、おかしな改変をするようなことはまずないとよくわかっていたからこそお任せできた、というところもありますね。
——TX-ff104 アリュゼウスの登場はとても驚きました。
笠井 新しいメカを出すにしても「ストーリーに対して違和感のないものを出そう」というのは村瀬監督もこだわられていたと思いますし、カトキ(ハジメ)さんも意識されていたと思います。いくら盛り上がるとしても、「なんでこの機体がここに?」みたいなメカがいきなり出てくるのはちょっと違うじゃないですか。
 アリュゼウスに関しては、レーンをここで戦わせるならペーネロペーが損傷している以上は別機体が必要になる必然性があったからこそ登場できたんです。まぁ、ペーネロペーで負けている以上は練習機で勝てるわけがないので、本当は戦っちゃダメなんですけど(笑)。でもそれくらいレーンもハサウェイとの戦いにこだわるようになっている、後に引けなくなっているという因縁を描くうえでも、ちょうどいいポジションの機体だったのではないかと思います。
——小説では、「エアーズ・ロックにレーンとペーネロペーを逃していれば、マフティーは追撃されただろう」という旨の文章が書かれていて、レーンが出てきた時は「あの展開が本当に!?」と興奮しました。それでいて、ペーネロペーではなくアリュゼウスになっていたので小説の文とも矛盾しないものがあり、流石だと感じました。
笠井 そうですね。村瀬監督は富野さんんの近くで仕事をされた経験がある方ですし、富野さんに対してのリスペクトがあるからこそ、小説の持っている良さや温度感を損なわないように映画化するという難題を達成できたのだと思っています。
——画面にチラッとリ・ガズィ・カスタムが出ていたり、いろいろな小ネタも印象的でした。
笠井 基本的に村瀬監督は「ハサウェイのドラマを描く」というところに注力されていたので、そのあたりのファンサービス的な要素については、他のメインスタッフや制作スタッフから提案させていただいたものがいくつかあります。
 ただ、村瀬監督らしいのは、台詞で一切説明をしないことですね。わざわざ出したんだから台詞で一言くらい「整備中のリ・ガズィ・カスタムが~」くらい触れそうなものなのですが、ずっと一瞬画面で見せてるだけなのが良い塩梅なのだと思います。
——あの機体が今後また出てくるのかどうかは……第3章を待っていただければ、と。個人的には、第1章にギャプランが出ていたので、リック・ディアスとかパウンド・ドックも出したかったんですけどね(笑)。
——細かいところだと、実はハーラ・モーリーが撃墜されたシーンがさらっと描かれている……みたいなところもファンの間で話題になっていました。
笠井 実はそこに関しては、我々の想定外だったところがちょっとありまして。考察されている通り、ハーラ機が戦闘する前のシーンで光点みたいなのが見えている描写があって、その時にアリュゼウスがハーラ機を落としているんです。
——やはり、あの描写はそういう意味合いだったんですね。
笠井 はい。ただ、我々としては、「一部の人だけが気づく」といった意図で入れたシーンではなかったんです。自分たちは内容をよく知っているので、「これでも普通に伝わるだろう」と思い込んでいた部分がありました。
 村瀬監督としても、あそこは少し気づきにくいかもしれないな、という想いはあったんじゃないかと思うのですが、仮にあれのシーンを明に描くと尺が結構必要になってしまうんですよね。あのシーンで重要なのはあくまでも「仲間が死んでしまった」という事実を知った時のハサウェイのリアクションであって、ハーラがどう死んだのか、という部分ではないんです。なので、仮にあそこを戦闘シーンとして長々と描写していたら、それはそれで作品にとってノイズになっていたのではないかなと。
 あと、小説も含め、ああいったドライな描き方は富野さんらしくもあるんですよね。富野さんの小説でも戦闘シーンを描かずに「〇〇は帰ってこなかった」みたいな文だけであっさりキャラを退場させたりするじゃないですか。そこも含めてあの見せ方は間違っていなかったと思っています。
——あの気味なさにより、戦場ならではのリアリティみたいなものが感じられます。
笠井 富野さんもそうですし、村瀬監督も人の死にあまり過剰なドラマ性を持たせたくない方なんだと思っています。死ぬ時は本当にあっけなく死ぬ方がやっぱりリアルですよね。そういった部分も含めて村瀬監督なりに「アニメ的なリアリティ」を求めた結果なのかもしれません。
——Ξガンダムのフェイスカバーの下にガンダム顔が隠されていたのにも驚きました。第1章の時から決まっていたのでしょうか。
笠井 はい、あれは第1章の時から決まっていました。どう出すかというところをちゃんと確定させたのは『キルケーの魔女』のコンテの段階でしたけど、村瀬監督も話されていることだと思うのですが、「小説版のデザインと、ゲーム版のデザインの両方のΞガンダムを出す」というのは、第1章から決めていたことです。僕らとしては「どうやって出すんだろうな?」と思っていたのですが、コンテを見て「なるほど、こうくるか」みたいな心境でした。
——とくに『SDガンダム GGENERATION-F』などで世代的に『閃光のハサウェイ』を知った世代にはゲーム版のイメージも強いと思うので、あの演出はたまらなかったんじゃないかと。
笠井 僕は最初に出会ったのが森木(靖泰)さんの小説版のデザインなので、ガンダム顔よりはそっちの方が馴染みがあるのですが、やっぱりそれぞれのデザインにファンがいる機体なんですよね。あそこから色々と考察していただいている方がいるので、作品をより楽しめる要素になったのであれば良い仕掛けだったんじゃないかなと思っています。
『水星の魔女』のヒットがガンダム映画躍進のきっかけに
——『キルケーの魔女』では、かなりプロモーションに力を入れられているなと感じましたが、いかがですか?
笠井 歴代のガンダム主人公たちが出てくるクロスオーバーPVなどを通じて、やっぱりガンダムは各シリーズにそれぞれのファンがいて、本当に長く愛されているのだと改めて実感しました。全てのシリーズ作品に、放送が終わって何年経っても、ずっとその作品を好きで応援してくれるファンがいるって本当にありがたいことですよね。僕らは作品を作るので精一杯だったので宣伝には協力しきれない部分があった中、プロモーションチームは本当にいろいろな事を考えてがんばってくれました。今回の結果にはプロモーションチームのがんばりも大きかったと思っています。
——とくに第1章の『閃光のハサウェイ』あたりから、ガンダム映画の好調が続いていて、アニメファンの間でも「映画館でガンダムを観る」ことが定着してきている印象があります。こうした良い流れができた要因は何なんだと分析されていますか?
笠井 『閃光のハサウェイ』の第1章も、満を持しての映画化だったこと、時期的なものもあってご好評をいただきましたが、一番大きかったのはその後の『水星の魔女』かなと個人的には思っています。
 『機動戦士ガンダムNT』や『ガンダムUC』の劇場上映とか、以前から小形がやっていた仕込みが花開いた部分もあるかと思いますが、やっぱりメディアやSNSで大きく取り上げられるようになったのは『水星の魔女』のタイミングなので。その後の『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』のヒットなども、普段アニメをあまり見ていない人たちの意識の中にガンダムが入ってくるようになったのは、『水星の魔女』が一番の要因になっているんじゃないかなと考えています。
——ガンダム作品をプロデュースするうえで、ご自身の中で大切にしている部分はありますか?
笠井 偉そうなことを言えるほどプロデューサーの経験があるわけではありませんが、常に考えているのは「自分が見たいものをちゃんと作る」「自分が見たいフィルムを作ってくれる人たちと一緒に仕事をする」ということです。そこはプロデューサーだけでなく作品を制作するうえで、一つの判断基準として大切にしています。
 特別「ガンダムだから」みたいな意識はそこまで強くないのですが、やはり富野さんへのリスペクトと、それぞれの作品に求められているテーマ的な部分は、大事にしなければいけないなと思っています。
 例えば『機動戦士ガンダム G40』では、スタジオカラーさんのクリエイティブを全面的に活かすために「ガンダムだからこうでなければいけない」という固定された思想を強要しないように意識していました。もっとも、スタジオカラーさんの制作スタッフの方々のガンダムの知識、理解度がそもそも高かったので、その必要もあまりなかったのですが。
 『閃光のハサウェイ』に関しては、やっぱり他のガンダムとは違う、今までにないガンダムを作っていこうというところを考えていましたし、プロデューサーではありませんでしたが、『ガンダムUC』や『Gのレコンギスタ』もそれぞえれ違う考えをもって担当させてもらいました。
——確かに、ガンダムシリーズと言っても、作品ごとに方向性はまったく違いますよね。
笠井 はい。なので、ガンダムだからというよりは、それぞれの作品ごとに求められるテーマに合致するように作る、という意識の方が強いです。
 あとガンダムの場合、僕一人でプロデュースするわけではなく、小形もいますから。小形が出してくるテーマを受けて、我々がどうやって形にしていくか、という側面もあります。やっぱり基本的に最初に作品を立ち上げるのは小形なんですよ。我々マフティーとすれば、クワック・サルヴァーみたいな存在なんです(笑)。
——最後に映画を鑑賞したファンと、第3章を期待するファンの皆さんに向けてメッセージをいただければと思います。
笠井 まず、観ていただいた方には本当に感謝しています。かなり間が空いてしまったのもあって、どれくらいの方に観ていただけるのかという不安がありました。『水星の魔女』を作っている間に、『水星の魔女』も『SEED FREEDOM』も僕らを追い越していって(笑)、ずっとそわそわした焦燥感の中で戦っていたのですが、そんな中ずっと待ってくださっていた方々には本当に感謝しています。
 第3章に関しては、まだ具体的には話せませんが、「ちゃんと終わらせます」ということだけはお伝えしたいなと。今回『キルケーの魔女』を経たことで、もっと踏み込みたかった、やり残したという想いが芽生えている部分もありつつ、何よりも第3章を見たい方々が「『閃光のハサウェイ』が終わったな」と感じてもらえるような展開をしっかりと描くつもりです。公開まで、楽しみにお待ちいただければと思います。

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